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私は学生時代に 5か月の短期語学留学を経験し、日本で外資系企業に約12年勤めた後、2013年よりオーストラリアに移住しています。この記事を読まれる方の多くは留学を考えられている10代、20代の方が多いかもしれませんが、仕事などで移住したいと考えられている20代、30代以上の方にとっても参考になれば幸いです。
1.私の留学経験
私の初の海外経験は1994年。大学2年の時に大学の5か月間の留学プログラムに参加しました。アメリカのシアトルとカナダのバンクーバーの間にある小さなアメリカの田舎町での短期の語学留学。元々親せきにアメリカ人と結婚した叔母がいて、小学校高学年の頃はよくその親せきの家を訪れていました。家の中では英語が話され、冷蔵庫の中身やキッチン、リビングなどに置いてある新聞、雑誌やビデオなどすべて横文字。また、米軍基地にもよく連れて行ってもらっていました。今でこそ国際結婚も珍しくなく基地内でも日本人を普通に見かけたりしますが、当時(80年代)はまだまだ珍しく基地内で日本人あるいは東洋人を見かけることはまずありませんでした。米軍基地を一歩入るとそこは完全にアメリカ。映画で見るような黄色のスクールバスや平屋で芝生に囲まれた庭付き住宅、レストラン、スーパー、体育館、プールなど完全にアメリカ仕様。そんな非日常の世界に小さい頃から何となく惹かれていたというか興味を持っていた自分がいました。なので、大きくなったら本場のアメリカで生活してみたい。大学の留学プログラムに参加したのはその夢をかなえるためでした。
そして、念願の留学。日本で英語だけはしっかり勉強していたとはいえ、現地の英語のスピードと生の発音についていけなくて、3か月くらいは苦労したのを覚えています。ただスポーツが好きだったので、時間がある時は極力現地の学生に交じってバスケをしていたのでリスニングの向上や現地での遊び仲間を作る良いきっかけにすることができました。また、テキストも初めはいちいち単語を辞書で調べないとわからないような感じで、1ページ読み終えるのにも30分とか1時間かかっていたと思います。なので、予習や膨大な量の宿題をこなすのに、現地の学生と同じように毎日夜遅くまで机にかじりつくような日々が続いていました。結果帰国後のTOEFLのスコアは留学前より70点以上上がったていたと思います。
よく留学で日本人とつるんだり日本語を話すのは語学力向上の上では良くないという人がいますが、私はバランスよくというか臨機応変にすればよいと思います。留学は人生やお金もかかるので、モチベーションがものすごく高い人も少なくなく、留学期間中に最大限の効果を得ようと日本人とは一切つるまないとか、日本人と話すときでも日本語を使わず英語でしゃべるというストイックな方もいますが、留学すると、授業が忙しかったり、不便なこと慣れないことも多々あったり、いくら海外生活や異文化に興味があると言っても、どうしても慣れない、受け入れられない考え方の違いや生活習慣、食べ物など多かれ少なかれ出てきて、留学して数か月がたったころに精神的にブルーになる時期を多くの人が経験します。そんな時に同じような価値観を持った日本人と話すと気分が晴れて、気持ちを新たに頑張ろうという気になれることもあります。
私も留学する前はそのように思っていましたが、実際には日本人とも多くの時間を過ごしましたし、同じくらい多くの時間をバスケを通じて現地の学生とも過ごしました。それでも、帰国後のTOEFLのスコアは留学した人の中では、カナダに12年住んでいた帰国子女とアメリカに4,5年住んでいた人を除いては一番良かったようです(大学からの正式な発表はなかったので確かではありませんが、学生に出回った留学部の人から聞いたというTOP3のスコアに私のが入っていたので)。
5か月のアメリカでの語学留学は最高に楽しく、私の人生の中で忘れられないものになりました。英語も5か月目に入ったあたりからは日本語と同じような感覚で不自由なく喋れるようになりました。しかし、そうなり始めた頃の帰国。「いや、まだこれから」というタイミングでの帰国は私的にはものすごく消化不良で私を重度の「逆ホームシック」に陥れました。そして、今度は就職して海外駐在などで最低でも3,4年の長期の海外生活を経験したい。就職活動の時もそれが私にとっての全てでした。しかし、当時は90年代の後半。「就職氷河期」で内定をもらえたらラッキー、仕事を選ぶなんて当然できません。内定を頂いた日系企業に普通に就職します。しかし、アルファベットすら使うことのない職場で、2年も経たないうちに辞めてしまいました。
そして改めて英語を使える職種に応募し始めますが、今度は「超就職氷河期」。新卒で2年も経たないで辞めた知識も経験もない根性なし(と一般的には見られます)を雇ってくれる所はありません。当時、20社あるいはそれ以上応募したと思います。しかしどれも結果はもちろんダメで、日に日に焦りが大きくなっていきました。そんな中、最終面接までこぎつけることが出来た企業がありました。私ともう一人面接したそうですが、結果はもう一人の方に内定が出されました。
かなり焦っていた中でようやく見えてきた一筋の光。何としても内定を勝ち取りたい。そんな精神状態だったので、結果を知らされたときはとてもショックでついダメだった理由を尋ねてしまいました。面接していただいた方はとても感じの良いかたで、私の質問にも真摯に丁寧に答えてくださいました。「私はあなたをものすごく上司に推しました。あなたは経験などはないけれど気概がものすごく感じられた。ただ、もう一人の方は実務経験があり、上司はやはり実務経験をとってその方に決めたので、私にはどうすることもできなかった」。そして私は更に聞きました。「やはり実務経験がないと難しいのでしょうか?」と。「お分かりだと思いますけど、今は経済がこういう状態ですので、採用も欠員が出た時に一名募集するというのがどこもほとんどです。求人を出すとうちのような知られていない会社でも40,50件くらいの応募が今は来ます。そうすると、その中には年齢も30代前半から半ばで実務経験もばっちりという方が数名いて、そうなると結局最初からその中での争いになってしまいます。」
なんとなく頭ではわかっていましたが、面接官からはっきり説明していただいてすっきりしました。「今は英語なんて言ってる場合じゃない。今日、明日食べていけるものを自分に身につけることが先決。いったん英語のことは忘れないとだめだ。5年。5年は忘れて5年経ったらその時の状況でまた考えよう。」
それから、資格学校で会計の勉強を始め、会計事務所に勤務して経験を得て外資系企業に転職したのが27の時でした。
2. 外資系企業を経てオーストラリアへ
外資系企業では通算で約12年働きました。外資系企業と言っても大半が日本人社員で外国人はわずか。社内メールは英語と日本語が半々ですが、英語でしゃべることは1,2年目はほとんどなかったと思います。しかし、3年目に直属の上司がオーストラリア人になり、それからは留学以来ぶりに英語を本格的に駆使できるようになりとても恵まれた環境になりましたが、あくまでも目標は海外生活。私はワーホリや社会人になってからの留学は一切せず、海外で働くチャンスを伺いながらがむしゃらに働いていました。上司にも早い段階から思いを伝え、気持ちはくみ取ってくれましたが、就職は留学と違い行きたいと思えば行けるものでなく、私の仕事のスキルやビザの問題、現地での空きのポジションがあるかどうか(空いているというだけでなく、現地の人を採用するよりわざわざ日本から呼び寄せて私を雇う方が価値があることを納得させなければなりません)など様々なことが複雑に絡みます。
オーストラリア移住まで約12年かかってしまいましたが、その間上司の計らいでシドニーに研修に行って来いと4か月間もの長期の日程でシドニー生活を体験させて頂いたり(研修は鬼のように大変で仕事終わりに遊ぶなんて余力はなく、毎日バタンキューでしたが)、日本ではスタッフから部長職まで一通り経験させて頂くなかで、仕事のスキルも生のビジネス英語も一通り身につけることが出来てそれがオーストラリアでの就職につながり(いきなり要職に就けました)、夢のまた夢と思っていた永住権もすんなり取得できたので、結果的には良かったと思っています。
そして、2013年よりパースに渡りオーストラリア在住歴はもうすぐ満6年となります。
パースはオーストラリア大陸の西側にあり、西オーストラリア州の州都です。パースの人口は約200万人でシドニー、メルボルン、ブリズベンに続きオーストラリアで4番目に大きい都市です。町も人ものんびりしていて温暖な気候なので、とても過ごしやすいと思います。そして、シティやパースを離れれば無数にある手つかずの自然。かつては世界一美しい都市に選ばれたこともあり、それに恥じないきれいな街だと思います。
パースに来て感じることは、留学と仕事ではやはり事情が全然違うということです。まず、よく言われることですが自分のスキルで成果を出さないといけません。オーストラリアはアメリカなどと同様に実力主義で即戦力が求められるので、会社は基本的に机とパソコンを用意して最初簡単にオリエンテーション的な説明をしたら、「じゃあ、よろしく」というだけです。もちろんわからないことは上司や周りの人に聞いたりできますが、皆自分の仕事で忙しいですし隣に座って手取り足取り教えてくれるなんてことはなく、期待するような答えが返ってくることもあまりないです。なので、わからないことは基本自分で調べて解決することが求められます。
また、オーストラリアは移民大国(統計局のデータによると人口の約3割が移民だそうです)。教育、文化的なバックグラウンドが個々によって全然違うので日本のような常識、以心伝心やツーカー(つうと言えばかあ)といった概念はありません。現地のローカル企業ではアジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系、南米系の人も普通に働いていますし、スーパーバイザーやマネージャー職に就いている人も少なくありません。なので、自分の中にある「ここまではやっているだろう」とか「このくらいは言わなくてもできるだろう」というものは全く当てにならず、仕事の進捗状況について相手との逐次確認はマストで、そういう意味では海外での仕事は日本より大変だと思います。
そして、こちらに来て知って大変ショックを受けたことですが、ある時「なんで日本人なのにわざわざオーストラリアに来ているの?」と聞かれ、びっくりして「何でそんなことを聞くのと?」と聞き返すと、「日本は平和ですごく治安が良いし経済もオーストラリアより大きくてテクノロジーも発展していて、オーストラリアより更に住みやすいと思うけど」と言われました。彼が言いたかったのは自分の国はとても安心して暮らせるようなところじゃなくて安住の地を求めてオーストラリアにやってきた。離れなくて良かったら離れていない。でも、そういった事情で帰りたくても帰れないし、母国を捨て慣れない異国で永住する覚悟でオーストラリアにやってきた。日本人は何で快適で慣れ親しんだ母国(日本)より治安が悪くて不便なオーストラリアに来たんだと。また、ある時「金がない。給料早く出ないかな」とこぼしていた人(シニアクラスの人です)がいて「何で。一杯稼いでんじゃん」と茶化したら、「いや自分の生活費以外は全部仕送りしているから貯金は全然ない」と言っていました。彼の場合彼だけでなく家族や親せきもオーストラリアに来ていて常に一緒にいて、仕事をゲットしている人がゲットしてない人を養うルールがあるそうです。自分の国では仕事が全然ないからみんなオーストラリアやニュージーランドに出稼ぎに行くのが一般的だそうです。
日本人は海外に住みたいというと、英語力を伸ばしたい、海外で異文化を体験したいという人が多いと思いますが、他の地域から来る人は母国ではテロや反乱などと常に隣りあわせとか母国の政治が腐敗していて安心して暮らせないとか、貧困から抜け出したくてオーストラリアに出稼ぎにきたという人も少なくないというのが実情で、移住というと離れたくないけど仕方なく母国を離れるという風に取る人もいるということに気づかされました。海外では家族の絆がすごく大切にされますが、それは単純に血がつながってるからということだけでなく、家族だけが唯一無条件で自分の命を守ってくれる存在だからなんだということがわかりました。
話が少しそれましたが、日本で10年以上そしてオーストラリアで約6年仕事をしてきた私としては、仕事に関しては正直日本の方が良いと思っています。日本人の方がスキルは総じて高いと確信を持って言えますし、まじめに仕事をちゃんとこなそうとしますし、チームプレイもできるので上司として日本人スタッフを持てば高い評価を得ることが出来ると思います。逆にこういったことは他の国の人たちにはできません。イチロー選手も引退会見で「メジャーリーガは個々の能力は高いがチームプレイは日本の中学野球の方が上。日本なら言わなくてもできる連係プレイが向こうでは全然できないので、それに苦しみ悩み結局諦めた」と言っていますが、まさにそのような感じです。
ただ、仕事が人生の全てではないですし、やはり海外で生活すると日本で経験できないことをたくさん経験できます。物事の考え方、価値観の違い、外国人から見る日本人のイメージなど、日本で日本人の中で生活しているとわからないですが、海外で様々な国の人と触れ合うことで、やはり日本の独特である部分が見えてきます。これは悪い点ということではなく、日本人にしかできない素晴らしい部分というのもたくさん気づけるので、そういうのが分かるようになった=視野が広がったというだけでもやはり海外に出て良かったと思います。
そして、パースに関して言えば町は上述の通りすばらしいですし、治安もかなり良い方だと思います。また、東南アジア系の移民が多いことで東南アジア系のおいしい料理が身近に堪能できることもメリットです。そして、パースを離れれば日本では決して見ることのできない美しい自然や雄大な自然の中を旅したり、ワイナリーなどを満喫することもできますし、他のオーストラリアの都市や地域へ旅行するのにも日本から行くのと比べたら近くて安く行けますので、やはり海外での生活は良いと思います。
私のような世代では留学や海外で生活するというと、日本での就職に不利とかネガティブなイメージがつくことが多かったですが、今はむしろアジア人や南米、アフリカ大陸の人たちもどんどんアメリカやヨーロッパ、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどに留学、移住していて、より良い条件で仕事を得ようと切磋琢磨しています。もちろん英語ペラペラなのは当たり前。日本も少子化・超高齢化を見据えて多くの企業が海外に進出していますので、これからは東京は世界地図で一地方都市、良い仕事をゲットしたければ世界地図の中心の都市に出ていくということが10年後、20年後には当たり前な世界になってくるのではないかと思います。
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